他者のことを、ウェイク語ではKumiriという。もともとつながっていた存在が、次の段階に進むために分かれたという意味だ。この地球上で、心から他者とわかりあうことは難しい。しかし、だからこそそれぞれの思いを表現し合い、時には譲り合ったり揉めたりしながら、家庭や職場でコミュニティを形成する。それが創造につながるのだ。
お互いになんとなくわかり合える関係性は、心地よいものではあるが新しい風が吹き込みにくい場合もある。もちろん、それが悪いわけではない。あなたはその人を通じた癒しを必要としているのかもしれない。地上で、安心感や心地よさを目に見えるかたちで体験するために、出会う関係性もある。
逆に、もう二度と関わりたくないと思うほど険悪な関係になる人もいる。あなたがそこから得るのは「こんな人間にはなりたくない」「こういうタイプには安易に近づかない方がいい」という教訓かもしれないし、深く傷ついたことで他者の傷に寄り添うことのできるやさしさかもしれない。それまでの環境から脱する決意をさせてくれたのかもしれないし、険悪になる前に共有した体験からあなたは深く影響を受けたのかもしれない。
Rosikotiseについて思い出してほしい。目の前で不快な言動をするその人は、あなたに「誰とでも仲良くしなければならない」と思い込んでいた過去が終わったことを知らせているのかもしれない。または、Weikuを思い出してほしい。その人の言動が本人のプライドの高さから来ていて、「あなたも無意識に他者に対して見下した言動をとることがあるよ」と教えているのかもしれない。
あらゆる人を愛する。それはとても美しい理想だけれど、この地上においては不自然なことでもある。思い出してほしい。あらゆるひとはAlumonisuの一部であり、変化し続けている。昨日まで親しかった人と、突然合わなくなるのはむしろ自然なことなのだ。それは、互いに必要な経験を終えて違うステージに進んだということでもある。Kumiriをあえて訳すならば「パートナーシップ」なのではないかと思うが、実際にはあらゆる人があなたのKumiriである。互いの創造性を刺激し合うために今ここで出会っているのだ。もし、あなたが「すべての人を愛さなければならない」と考え、他者に悪感情を抱く自分を否定しようとするならば、それはあなた自身を尊重していないことになる。
すべての人はあなたのKumiriである。それと同時に、あらゆる物事はAlumonisuであり、あなたの目の前に現れる物事はRosikotise、Weiku、あるいはNikeである。あなたが誰かを好きになれなくても、それでもその人はあなたのKumiriであり、それはまったく矛盾しないのだ。