ウェイク語

第一のサイクル

 ここでは、地上にいながらいわゆる高次元にアクセスしようとする際の3段階のサイクルのうち、ひとつめについて考えたい。

 まずはRehi。お風呂やプールに入っているとき、水中で指を水面に向けてくるくるまわすと、渦ができる。同じように、水面下での動きによって奥につながる道ができる状態。ジェームス・W・ヤング著のロングセラー「アイデアのつくり方」では、アイデアを寝かせるという段階が書かれている。一度考えることを手放して無意識にまかせ、アイデアがふってくるのを待つのだ。マーケティングの大御所である神田昌典氏は、寝る前に自分に質問を投げかけると起きたときに答えが見つかることがあると話していた。それらはどちらも、意識からスタートして無意識に語りかける方法だが、無意識は常に動いている。寝ている間も動き続けていて、時折渦を起こす。ふと「旅行に行きたいな」「あの人に連絡してみようかな」と思いつくとき、多くは渦の気配である。しかし、現代では多くの人が教育や社会的な常識を身につけることで、渦を見ないように生きることに慣れている。

 そして、Sotiki。渦の中心が見えるようになったことで、それまでフィットできていた「普通」に違和感を覚えるようになり、そこから離れ、リラックスした状態で大きなエネルギーを動かせるようになること。「普通」という型の中に押し込められているうちは、本当の意味でリラックスできていない。どんな自分でもいいのだと受け入れられるようになることで、もっと自分らしく、のびのびと力を活かすことができるようになる。

 そして、Sotiki。渦の中心が見えるようになったことで、それまでフィットできていた「普通」に違和感を覚えるようになり、そこから離れ、リラックスした状態で大きなエネルギーを動かせるようになること。「普通」という型の中に押し込められているうちは、本当の意味でリラックスできていない。どんな自分でもいいのだと受け入れられるようになることで、もっと自分らしく、のびのびと力を活かすことができるようになる。

 次が、Kike。リラックスして力を発揮できるようになったことで、それまで見えなかったものが見えるようになる。「見える」というのは抽象的な意味で、正確には感じ取るというニュアンスだろうか。たとえば、はじめたばかりの仕事に慣れていくことでそれまでは見えていなかった全体像や作業間の関係性が見えるようになることがある。もしくは、運転を覚えたばかりのときは、ハンドルやシフトの操作や標識の確認で手いっぱいだったのが、運転に慣れていくと他の人との会話や遠くの風景に意識を向ける余裕が出てくる。このとき感じられる「今まで見えなかったもの」というのは、大いなる流れだ。直感によって導かれる、理屈を超えた道。

 次はIsi。今まで手に入れてきたものを振り返り、必要なものだけ残して、あとは手放す。自分の執着やこだわり、アイデンティティとしてきたものについても、同じように手放す。この段階は、半ば強制的に行われることがある。急に仕事をクビになったり、部屋を立ち退かなければならなくなったり、決していい知らせとはいえないことも多い。しかし、この段階を超えないと先に進まない。サレンダーすること。

 第一のサイクルの最後が、Monu。器が拡がることで、体験できる範囲が物理的に大きくなり、質量が増えること。質量が増えるというのは、一見重くなることであり、光から遠ざかることに見える。しかし、見える世界と見えない世界にまたがる器が拡がった結果なので、実際には、軽さも増えている。あなたは今名古屋にいて、東京に向かおうとしている。今まで1時間で100キロの速度で移動していたが、新たな乗り物を手に入れたので10分で100キロ移動できるようになった。これによって、大阪方面へのアクセスも格段に速くなったが、それは東京から離れていることを意味しない。大阪へも近くなり、同時に東京へも近くなる。それがここでいう器が拡がることである。

 この第一のサイクルの中で、4番目のIsiがいちばん難しい。マインドフルネスやスピリチュアルが広まったことにより、それまで見えなかったこと、感じられなかったことがわかるようになる人が増えてきている。しかし、そこはゴールではない。過程の一部である。