ウェイク語

Rosikotiseの続き

 Rosikotiseは、「嫌なこと」であると同時に、いいことでもある。

 本来、Alumonisuには、善悪や優劣はない。しかし、それがいわゆる現実世界に立ち現れるとき、それをどこから見るかによって善のように見えたり悪のように見えたりすることがある。たとえば、戦いで戦果を挙げ名を成した戦士は、味方にとっては英雄だが、敵にとっては憎きヴィランである。しかし、それはどこから見るかの違いであって、本人はただ本人としてあり続けるだけだ。

 SEとは、光と影のような、相反する存在が同時にあることだ。具体的に行動を起こしたとき、すなわち目に見えなかったものを見える状態にしたときに、メリットとデメリットが同時に発生する。どちらか片方だけということはないのだ。

 まとめると、Rosikotiseとは、それまでの自分と決別して立ち上がったときに目の前に現れる光と影のことだ。光が曖昧なら影も曖昧だし、光が強ければ影もまた濃くなる。影を恐れる人は多いが、それらは実体のない幻でしかないこともまた事実だ。本質に目を向けるなら、光も影もない。