Monuとは、空間と時間によって制限された場を意味する。
Sielaであるわたしたちはどこにでも同時に存在していて、矛盾しない。たとえば数冊の本を行き来しながら調べものをしているとき。あるいは、テレビをつけながら手元ではスマホでゲームをしてさらに他の人と会話をしているとき。わたしたちは複数の活動に同時に(ひとつ当たりの集中力は削がれるかもしれないが)コミットすることができる。それと少し似ている。
Moとは、Sielaにつながる空間のこと。現代社会においては、見える世界こそが真実で、見えない世界は計測できないあやふやな幻のように捉えられがちだが、Moは見える世界の奥に拡がる見えない世界を含む。Nuとは、時間の膨らみのこと。相対性理論によって、時間は速くなったり遅くなったりすることがわかった。光の速さで動いていると世界は時間が止まったかのように感じられ、動きが遅くなるほど時間も遅くなる。この重さや「今」に集中することによる「今」を引き延ばすような力がNuだ。
Sielaの器となる肉体はMonuである。また、SielaたちがMonuをまとって集まっているこの地球もMonuである。
Sielaである私たちは、空間も時間も超越した存在だが、Monuを体験している。制限された空間や時間を楽しむ、魂のキッザニアだ。キッザニアにいる間、あなたはキッザニアのルールに従わなければならない。だからといって、この世界のすべてがキッザニアというわけではない。そこから外に出ることを、選択することができるのだ。